あとがき(1990年に印刷した版のあとがき)
筆者は地震学の研究者として当然のことながら,過去内外に起こった大地震や地震災害にも関心を持って,断片的ではあるが新聞記事や外国の研究者から聞いた話などをメモしてきた.しかし,地震学の研究に精一杯で,さしあたって研究に必要なものを除いて,外国の古い地震の勉強や調査などに時間を費やす余裕はなかった.数年前たまたま,内外の主な被害地震の表を作成する必要が生じたとき,外国の地震の資料については困惑した.いくつかの地震の書物,あるいは大きな百科事典や年鑑等に載っている簡単な表には満足すべきものは見当たらない.思い付くままに地震を選んだような感じのものもあり,それほど重要とは思えない地震が載っているのに,有名な大震災がいくつも欠落していたりしている.
有史以来の世界の被害地震ないしは顕著な地震をリストしたカタログには,古くはMallet(1852-1854),Milne(1911),Sieberg(1932) によるものなどがあり,また,近年までを含むカタログとしては,Ganse and Nelson (1982) のカタログがある.Ganse and Nelson のカタログは,159編の文献を渉猟し,ある基準のもとで集めた約2500件の地震に震央の緯度経度を与えている.その精度はともかくとして,大変な作業であったと推察される.
しかし,このカタログも,パキスタンのQuetta地震(1935年),ソ連のKhait地震(1949年)など有名な大震災が脱落しており,1897年インドAssam地震も見当たらない.このカタログは1898年前後が全部欠落しおり,アラスカのYaktat Bay地震(1899年)も載っていないのに,まったく同じ行が並んでいたりする.コンピュータでデータを修正をしたり並べ変えたりしているうちに,誤って一部のデータを消してしまったり,重複登録したりすることはあり得ることである.このカタログは最近の地震を追加して,MTファイルとして発売された.これをみると,上記の脱落分は補充されているが,誤りの多くはそのままで,追加分も,例えば1982年浦河沖地震の死者数が100(正しくはゼロ)となっていたり(Casualtyという欄であるが他の地震は死者数が示されており,この地震だけ死傷者数を示したとはと
れない),アフリカのギニアがNew Guineaとなっている.
既存カタログにみられる誤りの例を述べよう.1730年12月30日に北海道の地震で死者137000人という記事が散見される(例えば Sieberg (1932), Bath (1977)).日本の歴史と地理を知っていれば,これがおかしいことはすぐわかる.どうしてこの幻の大震災がでてきたのか,筆者の推理よれば,これは江戸に大きな被害をもたらした1703年12月31(U.T.で30日)の元禄関東地震の誤記である.誰かが1703を1730と,Edo(またはYedo)をEzo(またはYezo)と誤記あるは誤植した.Ezoという地名は地図にはない.昔は北海道をEzo(蝦夷)と呼んでいたことを知り,EzoではわからないのでHokkaidoと書き直したのだろう.
この地震の少し後の1737年10月17日に,カムチャツカに巨大な津波を伴う地震が発生した.この地震で死者3万人という記事が 松沢先生の「地震」(1933),本多先生の「地震学概要」(1943)などに載っている.これらは「理科年表」の世界大地震年代表からの転載で,その元は Milne (1911)である.しかし,Milneの表のカムチャツカ地震の項には死者の記事はなく,その1行前のカルカッタの地震で死者30万と記されている.「理科年表」の表を作るとき1行見誤り,1桁間違えたらしい.筆者はそのことに気付かず,3万という数字を不審に思っていたが,たまたま,カムチャツカ火山研究所長の Dr. Fedotovと会った機会にきいてみたら,この地震の死者は 当時の人口から考えて100人程度だったろうと言っていた.前記カルカッタの地震(1737年10月11日)の死者30万というのも疑わしいが,先日 ある本に同年10月7日に同地方でサイクロンに伴う高潮があり,30万人が死んだという記事を見つけた.地震もあったのかもしれないが,死者数は高潮災害と混同されている可能性が大きい.
これと同様の誤りはそれほど多くはないだろうが,参照した文献の中には,年,月,日が違う複数の地震で,もとは同じ地震ではないかと疑われるものがかなり多い.しかし同じ地域に大地震が続いて起こることも,しばしばあるので,うかつに削除するわけにもいかない.削除するためには,原史料まで立ち戻って慎重に検討してどれが誤りであるかを確認しなければならない.
死者数も議論の種である.近年でも大地震後,正確な死者数が当局から発表されることは,日本など一部の国を除きむしろ稀で,どれが本当か判断しかねるいくつかの数字(ときには十倍以上も違う)が残されることが多い.死者数に限らず文献記事の信憑性を問題にしだすと,疑問が際限なく生じてくるが,筆者にはこれを解決する知識も時間的余裕もない.このような状況のもとで,識者の批判に耐える正確なカタログを作ることはほとんど不可能である.
しかし,先のアルメニア地震のような大地震があると,過去の同地方の大地震についての質問に答えねばならず,また日本人の海外進出に関連して,おもわぬ国の地震についての問い合わせもある.完全を期すのは無理としても,世界の被害地震をまとめた一つのファイルを作り,必要に応じて検索できるようにすれば便利であろうと思われた.Ganse and Nelson のカタログを少し手直しすればよいだろうと思って始めたが,同カタログには問題が多いことを知り,地震研究所にある文献だけでも調査して,作り直してみることにした.この程度の作業でも,試みてみると意外に時間のかかるもので,筆者の停年退官の時期になってしまった.その直前,それまでに作成したファイルの内容を,とりあえず暫定版として印刷し,国内の主要研究機関に配布した.以後もそのファイルの改訂を続け,気付いた誤りは訂正し,2000件以上について情報を追加,約500個の地震を追加した.
まだ思わぬ誤り,見落としが残っているおそれがあるし,参照した文献の記載が少々おかしいと思いつつそのまま転記したものも少なくないが,注意して使えば地震の研究,災害対策に多少とも役立つかもしれないと思い,表の形式を多少変更して印刷することにした.ファイルは1MBフロッピィーディスク1枚に収まっているので,ご希望があれば提供できる.できれば今後も改訂増補してゆきたいので,お気付きの点をお教え頂ければ幸いである.
本編は筆者が地震研究所在職中作成したファイルが元となっている.その際,加藤育子技官にデータの入力,対比,チェック,修正をはじめ,国名や都市・地域名の調査など作業のかなりの部分を担当して頂いた.また,阿部勝征教授ほか多くの方々から有益な情報を頂いた.厚くお礼申し上げる.
1989年10月10日 宇 津 徳 治